日記
さあ鍋を囲もうよ!
湯気の向こう側
鍋を囲む時間は、一日のなかで最も穏やかな句読点かもしれません。 湯気の向こうで交わされる会話は、時に思いがけない人生の深淵に触れることがあります。
その夜、座を盛り上げたのは、かつて社会現象を巻き起こした朝ドラ『あまちゃん』の思い出話でした。 「あのドラマは本当に元気をくれましたよね」 「あの曲を聴くだけで、今でも一日が始まる気がします」
それは、誰もが共有できる幸福な記憶。談笑の輪が広がるなか、一人の男性がふと、穏やかに尋ねました。 「それは、どういったお話なんですか?」
「えっ、あまちゃんですよ!知らないんですか?」 周りは驚き、親しみを込めた冗談まじりの声が飛びます。それは決して彼を責めるものではなく、「あんなに素敵な物語を、あなたにも共有してほしかった」という、善意と親愛の情からくるものでした。
彼は少しだけ申し訳なさそうに、けれど清々しい表情でこう答えました。
「あぁ、そうなんだね。実は私はずっと、朝の五時半には出社して、夜勤のメンバーから現場に問題がないかを聞き取るのが仕事だったんだ。だから、その時間はテレビを見たことがないんだよ」
その場に、静かな感銘が広がりました。
私たちがドラマの物語に胸を熱くし、明日への活力を得ていた、あの眩しい朝の時間。 その同じ時刻、この人はまだ静まり返る街を抜け、誰よりも早く現場に立ち、夜を守り抜いた仲間たちの声に耳を傾けていたのです。
『あまちゃん』を愛した人たちが守ってきた、明るく健やかな日常。 そして、その日常を支えるために、自らの持ち場を数十年守り続けてきた彼の規律。
どちらが欠けても、この平和な食卓は成立しません。 流行を知っているという「豊かさ」と、一つの役割を全うし続けてきたという「凄み」。その二つは決して対立するものではなく、どちらも等しく尊い人生の景色なのだと気づかされました。
「そうでしたか。それは、本当にお疲れ様です」
誰かが自然に口にしたその言葉に、全員が深く頷きました。 お鍋の湯気の向こう側で、それぞれの朝を懸命に生きてきた大人たちが、互いの歩みを認め合い、静かに杯を交わす。
それは、どんなドラマのワンシーンよりも、奥深く、かっこいい光景でした。
